「アレックスと私」を読んだ

January 20, 2021


これは、ある女性研究者がヨウムは人と言葉で意志の疎通ができるのかを長い年月をかけて追求する過程を記した本である。
Amazon.co.jp: アレックスと私 (ハヤカワ文庫NF) eBook: アイリーン M ペパーバーグ, 佐柳 信男: Kindleストア

この本には2つの側面がある。それぞれ思ったところを書き殴っていきます。

その1 ヨウムの能力を分かりやすく説明する科学読み物

まず私はヨウムという鳥について知らなかった。
「オウム」をヨウムと呼ぶこともあるのかななんて思ったのだがこの2種は別物で、オウムは「オウム目オウム科」で、ヨウムは「オウム目インコ科」、つまりインコの仲間らしい(Wikipedia調べ)。

オウムやインコが人間の言葉を話すのはよく知られている。ただそれはあくまで音を真似ているだけで文字どおりオウム返し、意味や概念を理解して発しているわけではないと思っていた。
この本に書かれている研究の成果によると、ヨウムは物にラベルづけしたり感情表現の手段、他者とのコミュニケーションの手段として言語を使うことができるらしい。
例えば、紙を見せてこれは「紙(ペーパー)」と教えれば、「ペーパー」という音だけではなく、紙が「ペーパー」であることをラベルづけして理解できる。
さらに数字や色のような概念も理解できるようで、3つの木片を見せて「木はいくつある?」と質問すると「スリー」、「この紙は何色?」と質問すると「グリーン」のように解答できるとのこと。「スリーウッド」や「グリーンペーパー」という音を覚えるのではなく状況から判断している。つまり「スリーウッド」を理解していれば、3枚の紙を見て「スリーペーパー」と答えることができる。人間の子供が言葉を覚えるプロセスと同じと思われる。
また、言葉を用いてジョークや皮肉を言ったり、喜怒哀楽を表現しているような描写もしばしば登場する。

人間が特別であることの根拠が、言語を用いて世界を理解し他者とコミュニケーションを取る社会的な唯一の生き物だからだとしたら、アレックスの行動からこの命題は否定されるので人間は特別ではないことになる。
ヨウムは人間の2〜5歳児程度の知能があると書かれているが、あくまでそれは人間を基準とした場合であって、ヨウムにはヨウムの世界があるはず。だから知能の程度というのはおそらく適切な比べ方ではない。

人間にとって幸いなことにヨウムは人間が判別できる音で発話できるのでこのような研究が成立した。
しかし他の動物はそれができないだけで、実は同等の能力を備えていても何も不思議ではない。人間にはネコの発する声はニャーとしか聞こえないが、ニャーの向こう側に我々には認知できない深遠な世界が広がっている可能性がある。

その2 研究対象のヨウムと特別な関係性を築いた女性研究者の半生記

著者で鳥類研究者のアイリーン・ペパーバーグさんは家庭環境の影響もあり内気な子供で、ある時出会ったヨウムがほぼ唯一の友達だったと述懐されている。そのこともおそらく影響し、紆余曲折ありながらもその研究者人生の大半をヨウムの言語についての研究に費やすことになる。
今ですら女性が、しかも理系分野において研究職としてやっていくのはなかなか大変なことも多いのではないかと推測するが、著者が研究の道を志したのは1970年代ということで、その苦労は計り知れない。実際に研究予算や所属先等で苦労する場面が幾度も登場する。そのような状況を長年一緒に乗り越えてきた研究対象であるヨウムのアレックスと著者の関係を一言で表すことはできないだろう。

まあとは言っても要は長年連れ添ったペットと飼い主のそれじゃないの、という声も聞こえてくるような気がするが、そもそも人間同士なら分かり合えるなんて幻想でしかない。その証拠にチームでのソフトウェア開発など何度やったってボタンのかけ違いの連続である。それでも僕らはああだこうだ言いながら一緒にコードを書いたり酒を飲んだり笑いあったりなんだりかんだりして、うまくいけば何かしら動くものもできる(できないこともあるけど)。なんで何考えてるか分からない他人とそんなことができるかというと信頼関係、関係というと通じ合ってるような感じもしてしまうが、意識的にせよ無意識にせよ、こいつは信用できるという一方的な思い込みなんじゃないだろうか。家族とかだって同じだと思う。たまたまある時ある場所に居あわせた人々が、大した根拠もなくお互いを信用し合うことできっと人間社会は成り立っている。

だとすると、人間の言語でコミュニケーションを取るアレックスと著者の関係は人と人のそれと何も変わらない。アレックスが本当は何を考えていたのか(または考えていなかったのか)は誰にも分からないが、少なくともこの本に描写されている限り著者にとってアレックスは特別な存在だったのである。
だからこそ結末が分かっていても最後は涙なしには読めない。私たちも特別な人との時間は大切にしましょう。

人間は特別ではないけど、それでも私たち一人一人はきっと誰かの特別な存在だと思わせてくれる一冊。
ちょっとヴェルタースオリジナルを買ってきます。

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